帰雲城の埋没金

2022年10月27日

中部地方の埋蔵金伝説の中ではたぶん、前野小平治の埋蔵金と並んで有名な岐阜県白川村の帰雲城(かえりくもじょう)の埋没金をリポートします。

名古屋から車で2時間半の距離で、日帰りも十分可能ですが、全国旅行支援を使って1泊2日のお宝さがしツアーに出掛けました。

帰雲城を巡っては、テレビ愛知が2017年から調査を続け、「消えた戦国の城」という題で3回の特集番組を放映しています。

私も1回目と2回目をビデオで見ましたが(残念ながら3回目はまだビデオになっていません)、大変興味深い内容で、今回のリポートはこれを追いかける形となりそうです。

最初に例によって伝説の内容を確認しておきます。

天正13年11月29日(新暦の1586年1月18日)の午後11時ごろ、東海・北陸・近畿を襲った巨大地震(天正地震)により、岐阜県白川村の庄川右岸の帰雲山が崩落し、同村保木脇にあった帰雲城と城下300余りが山津波に飲まれ、城主内ヶ島氏理(うちがしま・うじよし)以下一族家臣と500人以上の住民が一人残らず圧死した。

当時の白川村は金銀鉱に恵まれ、内ヶ嶋氏の初代氏為(氏理は4代目)は室町幕府8代将軍足利義政の命で信州松代から飛騨に移り、鉱山奉行のような役目を果たしたという。

突然の悲劇に見舞われた帰雲城には、5000円億円とも2兆円ともいわれる金がそのまま埋まっているとされるが、城の正確な位置は現在も分かっておらず、発掘調査も何度か行われたが、発見されていない。

帰雲城の存在は、白川村荻町で旅館「城山館」を経営した郷土史研究家松古孝三氏の活動と、昭和47(1972)年に朝日新聞の記者佐々克明氏が出版した「まぼろしの帰雲城」で一般に知られるようになった。
(この項続く)


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 崩落の後が生々しい帰雲城=岐阜県白川村で

(09:00)