埋蔵金にまつわる話

2023年01月02日

埋蔵金探しを定年後の趣味として始めてから、初めてのお正月を迎えました。

1日遅れましたが、1年の計は元旦にありということで、今後の活動計画を立ててみたいと思います。

昨年は、前野小平治の埋蔵金(南知多町)や尾張徳川家の駿府御譲金(名古屋市昭和区)、帰雲城の埋没金(岐阜県白川村)といった中部地方の有名な埋蔵金伝説について、資料を調べたり、現地に足を運んで地元の人に話を聞いたりしましたが、いずれも「埋蔵金は実在しない」という結論に達しました。

愛知県内では、日吉神社の埋蔵金(清須市)、一色山城の金鶏伝説(瀬戸市)、小金下の埋蔵金(みよし市)、重原城の埋蔵金(知立市)も空振りに終わり、やり尽くした感があります。

今後の活動ですが、昨年の結果を踏まえ、二つの方向を考えています。

一つは、探索の範囲を中部地方以外の埋蔵金伝説まで広げること。

これは時間も費用もかかるので、以前にブログでも触れた「埋蔵金の期待値」が高いことが条件となります。

逆に、多額の埋蔵金が現在も埋まっているのは間違いなく、発掘できる可能性も高そうだというものが見つかれば、多少遠くてもチャレンジするつもりです。

もう一つは、畠山清行氏や八重野充弘氏の著作にも紹介されていないような埋蔵金伝説を、古文書などから見つけだすこと。

そのためには古文書の読解力を鍛えるとともに、埋蔵金情報に対するアンテナを高く張る必要がありそうです。

いずれにしろ、今年こそは埋蔵金を発掘し、このブログで盛大に発表するつもりです。

(11:00)

2022年12月11日

JTC(日本トレジャーハンティング・クラブ)の忘年会が開かれ、代表の八重野充弘氏をはじめ9人が参加して大いに盛り上がりました。

お店は東京・二子玉川のセルフサービスフレンチ「ルナティック」さんです。

食券で注文してカウンターで飲み物と食事を受け取るスタイルで、本格的なフランス料理を廉価かつ気軽に味わえます。(アパートを丸ごと改装した外観も特徴的です)

コロナ感染者の増加が少し心配されたのですが、貸し切り状態(たまたまほかにお客さんがいなかった?)で、思う存分、飲み食い会話を楽しむことができました。

私を除く8人中4人の方とは千葉の塩見海岸の小判探しでお会いしており、残る4人の方とは初対面だったのですか、どなたも気さくな紳士然とした方ばかりで、まるで昔の友人と再会したような気分でした。

この日はJTCの来年の活動計画も話し合われる予定でしたが、お堅い議論はなく、「来年こそは埋蔵金を発掘しよう」という掛け声に終始しました。

JTCについてですが、八重野氏の話では、当初は実際に埋蔵金探しをしている人たちの連絡組織という性格で、会員数は二十数人程度だったそうです。

埋蔵金探しに関心を持つ人に門戸を広げた2000年代以降は会員数が増え、現在は百数十人に上るとか。(ただし、連絡のつかない幽霊会員もずいぶん多いそう)

埋蔵金を特集した昔の雑誌を読むと、現地に住み着いて埋蔵金探しを何十年も続けているようなトレジャーハンターが登場しますが、「現在はもういない」(八重野氏)ということでした。


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 八重野代表からJTCの会員証をいただきました

(11:00)

2022年11月08日

題名の通り、名刺を作ることにしました。

これまで関係者に埋蔵金の話を聞くときには、「趣味で埋蔵金を研究しています〇〇と申します」と自己紹介していました。

それで最初は済むのですが、話を聞いた最後に相手から名刺を出されると、こちらもお返しに自分の名刺を出さざるを得ません。

その際には「これは私が勤めている会社の名刺ですが、今回お話をお伺いしたのは、あくまで私の趣味の活動の一環ということで、ご了解ください」と一言お断りしていました。

それで勤務先に迷惑をかけることはないと思われますが、相手に誤解される可能性がどうしてもあるので、プライベートの名刺を作成することにしました。

名刺があれば、その後の情報交換もスムーズにいきます。

名刺の肩書ですが、「埋蔵金ハンター」「トレジャーハンター」というのは格好良すぎるので、「歴史・埋蔵金研究家」としました。

せっかくなので、「JTC(日本トレジャーハンティング・クラブ)会員」も併記します。

メールアドレスと携帯電話の番号はそのまま載せ、自宅の住所についてはいろいろ迷った挙句、「丁目」までを入れることにしました。

悪用されることはないと思いますが、地番まで入れると、グーグルマップのストリートビューで自宅の写真まで表示されてしまいます。

相手に正確な住所を伝えたいときには、名刺を渡すときに番地と地番を書き加えれば済むでしょう。

さて、肝心の料金ですが、ネット注文で急がなければ、100枚500円以下で作成できます。

カラー、両面印刷でも料金は同じですが、落ち着きのあるモノクロ、片面印刷で注文することにしました。

(07:00)

2022年11月04日

前回のブログで、埋蔵金の期待値の計算式を考えてみました。

すなわち、(埋蔵金の額)✖(埋蔵金伝説の信憑性)✖(埋蔵金が見つかる可能性)=(埋蔵金の期待値)です。

帰雲城の埋没金の場合、天正地震による山津波で、帰雲城と城下の町が埋まったのは実際にあった出来事とみていいので、埋蔵金伝説の信憑性は100%に近いものといえるでしょう。

埋蔵金が見つかる可能性も、帰雲城の詰城跡が発見されたので、その近くに埋まっているのは間違いなく、かなり高まりました。

しかしながら、埋蔵金の額は、もし豊臣秀吉に金銀を献上した後に地震が起きたとすると、ほとんど期待できません。

3者を掛け合わせた期待値は低く、時間と予算をかけて発掘するのは割の合わない作業となります。(もちろん歴史研究や観光資源としての活用が目的の場合は別です)

同様に徳川幕府の御用金を考えてみましょう。

埋蔵金の額は、甲府の御金蔵から運んだ24万両と江戸城の御金蔵から消えた360万両の計384万両。

埋蔵金伝説のメインとなるのは、水野智義氏が埋蔵に関わった義父から直接聞いた話で、江戸城から運び出された御用金が利根川を遡って上州方面に運ばれたことを示唆する幾つもの目撃談が、信憑性を高めます。

さて、埋蔵金が見つかる可能性ですが、これまで家康像や銅板の地図などさまざまな手掛かりをもとに大勢の人間が探索していますが、発見できていません。

埋蔵金の期待値は高く、発掘を試みる価値は十分あると思われますが、結果を得るためには新たな情報や、手掛かりについての新しい解釈が必要なようです。


(08:00)

2022年09月15日

魚を釣り上げるためには、魚のことをよく知れ、というわけで、大判小判の実物を見に「貨幣・浮世絵ミュージアム」(名古屋市中区)を訪ねました。

同ミュージアムでは、豊臣秀吉が作らせた天正大判に始まる大判6種類と、江戸時代に流通した小判10種類、それに天保五両判(中判)のすべての実物を見ることができます。

武田信玄が鋳造した甲州金や、古物愛好家に売りつける目的で作られた尚古・玩賞小判なども展示されています

中でも見ものは、2004年に世界に3枚しか現存せず、ここでしか見られない天正沢瀉大判(てんしょうおもだかおおばん)でしょう。

裏面中央に木下藤吉郎時代の家紋である沢瀉(オモダカ、池沼などに自生する多年草)紋が打たれているのが特徴で、2004年にウィーン金貨ハーモニー1000オンスに抜かれるまで世界最大の金貨でした。

これを拝むと宝くじに当たるとか。

さて大判、小判の実物を見た感想ですが、時代劇のドラマに出てくるような眩しい黄金色ではなく、歴史の澱のようなものを感じさせる鈍い輝きです。

古銭市場で小判が一体、いくらで取り引きされているのか。

銀座コインのホームページを見てみると、徳川家康時代の慶長小判が180万円前後、日本最後の小判である万延小判が12万円前後で販売されてます。

一概に小判といっても、値段に大きな開きがあることがわかります。

ちなみに天正沢瀉大判の価格をミュージアムの学芸員の方にお聞きしたところ、「値段はつかない」そうです。

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 天正沢瀉大判(手前)=名古屋市中区の貨幣・浮世絵ミュージアムで

(08:00)