2023年03月07日

高尾という人物が中山氏に語った佐々成政の軍用金の目撃譚のどこがおかしいか。

一つは、怪しまれないために北海道に金鉱を買い、黄金の延べ板を吹き替えて、そこから産出したように偽装するという話です。

大勢の家来を使っても、黄金の延べ板入りの49個の甕を、標高2090㍍の鍬崎山の中腹まで運ぶ作業は大変だったに違いありません。

それを再び山から下ろして、さらに北海道まで移動させるというのは並大抵のことではないでしょう。

こちらの方がよほど多くの人の目に触れて怪しまれます。

埋蔵金の発見を公にしたくないのなら、私なら少しづつ持ち出して現金化します。

もう一つは、高尾が中山氏に簡単に打ち明けたことです。

上山兄弟が死んだ後、埋蔵金の存在を知っているのは高尾だけなのですから、その情報を赤の他人と共有するというのは到底考えられません。

誰にも話さず、埋蔵金が見つかるまで探し続けるというのが人情でしょう。(それでも見つけられない場合は、自分の子孫に託すというのが、埋蔵金探しの通例です。中山氏本人も探索記録や地図を長男に遺しています)

というわけで、佐々成政の軍用金の目撃譚はまったくの作り話ではないかもしれませんが、どこかに大きな嘘が混じっているような気がしてなりません。

中山氏が鍬崎山と周辺をしらみつぶしに探して見つけられなかったのも、その嘘に引きずられたからではないでしょうか。(この項続く)


甕
 黄金の延べ板が詰まった甕は49個あったというが…

(08:00)

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