2023年01月13日

法輪寺の黄金伝説には若干のバリエーションがあります。

たとえば、左藤継信・忠信の母、乙和御膳は息子たちに会うために京都に向かい、途中、疲労で病気になって法輪寺で休養することになった。

二人の死を知らせるために奥州に向かっていた従卒が近くを通り、老母のうわさを聞きつけて法輪寺を訪ねる。

従卒から二人の討ち死にの様子を聞いた乙和御膳は嘆き悲しみ、村人も同情して、以来この村では新年の門松飾りを止めてしまった、という内容です。

ただ、話としては前回紹介した内容の方が現実性がありそうです。

佐藤兄弟と乙和御膳をめぐる逸話は、戦で子供を失った母親の悲しみを訴える普遍的なストーリーとして、各地に残っています。

法輪寺とほとんど同じ話が、新潟県出雲崎町の正応寺にも伝わっています。

長野市の善光寺にも佐藤兄弟の供養塔があり、乙和御前が二人の冥福を祈って建てたとされます。

このほか、義経が佐藤基治(兄弟の父親)の居城である大鳥城(福島市)に立ち寄り、基治と乙和御前に二人の活躍を報告したという話や、兄弟の妻たちが二人の甲冑を身に着け、悲しみにくれる乙和御前を慰めたという話も知られています。

法輪寺の伝承が、数多ある伝承の一つとして影が薄くなっているのは否めません。

しかしながら、乙和御膳が金千枚を埋めたという黄金伝説は、同寺にしかありません。

そして、やはり注目は本尊に記されていたとされる謎の一文でしょう。(この項続く)


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 佐藤継信・忠信兄弟と乙和御膳の供養塔=名古屋市守山区の法輪寺で

(08:00)

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