2022年12月09日
山下財宝の実在をうかがわせるもう一つの情報が、行方不明となったマル福金貨です。
マル福金貨とは、山下奉文大将の前任者である黒田重徳中将がフィリピン方面軍司令官だった1944年2月に、東京から台北経由で空輸された金貨のことです。
写真をみてもらえばわかりますが、円形の金貨に「福」の字が刻印されていたことから、マル福金貨と呼ばれています。
直径30.54mm、重さ31gで、品位は24K/1000(純金)です。
当時のフィリピンは、米軍の偽札発行による市場かく乱策もあって極度のインフレ状態に陥っており、金貨はそれに対処するために運び込まれました。
大本営陸軍参謀を務めた堀栄三の著書「大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇」によると、金貨の枚数は2万5000枚で、山下司令部がルソン島北部のバギオに移動するときに約1万枚が各拠点や守備隊に配分され、残りの約1万5000枚が北方の山中に移されたそうです。
この約1万5000枚がどうなったかは、最終輸送に携わった者が全滅したため、皆目不明としています。
同書は、1950(昭和25)年にマル福金貨1枚を東京の貴金属店で換金した者があり、3万円で引き取られたことも紹介しています。
ちなみに1万5000枚を地金に換算すると465㎏、現在の金相場で40億円近くとなります。
これだけの財宝が現在もフィリピンのどこかに埋まっている可能性は十分にあると考えられます。(この項終わり)

マル福金貨
マル福金貨とは、山下奉文大将の前任者である黒田重徳中将がフィリピン方面軍司令官だった1944年2月に、東京から台北経由で空輸された金貨のことです。
写真をみてもらえばわかりますが、円形の金貨に「福」の字が刻印されていたことから、マル福金貨と呼ばれています。
直径30.54mm、重さ31gで、品位は24K/1000(純金)です。
当時のフィリピンは、米軍の偽札発行による市場かく乱策もあって極度のインフレ状態に陥っており、金貨はそれに対処するために運び込まれました。
大本営陸軍参謀を務めた堀栄三の著書「大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇」によると、金貨の枚数は2万5000枚で、山下司令部がルソン島北部のバギオに移動するときに約1万枚が各拠点や守備隊に配分され、残りの約1万5000枚が北方の山中に移されたそうです。
この約1万5000枚がどうなったかは、最終輸送に携わった者が全滅したため、皆目不明としています。
同書は、1950(昭和25)年にマル福金貨1枚を東京の貴金属店で換金した者があり、3万円で引き取られたことも紹介しています。
ちなみに1万5000枚を地金に換算すると465㎏、現在の金相場で40億円近くとなります。
これだけの財宝が現在もフィリピンのどこかに埋まっている可能性は十分にあると考えられます。(この項終わり)

マル福金貨
(19:30)
