2022年11月29日

堂洞合戦を巡るエピソードの中で、何といっても悲惨なのは、父親の佐藤紀伊守が織田信長に寝返ったために殺され、竹の串に貫かれて長尾丸山に晒された八重緑でしょう。

子供向けのマンガではさすがにこの場面をはっきりと描けず、シルエットで示唆しています。

「堂洞軍記」によると、忠能の家臣の西村治郎兵衛がその日の夜に忍び込んで死体を奪取し、龍福寺に弔ったそうです。

岸勘解由が残忍な人物に見えますが、八重緑はあくまで人質としてに差し出されていたのですから、殺されるのは覚悟していたことでしょう。

八重緑を巡っては5年前にちょっとしたニュースがありました。

実は、マンガに登場する「八重緑」という名前は、地元に伝承で伝えられてきたもので、史料の上では名前は不明でした。

ところが、マンガが出版された直後に、慶応3(1867)年に書写された「堂洞軍鑑記」が岐阜県富加町の旧家で見つかり、そこに「八重緑」という名前が記されていることがわかったのです。

マンガを読んだこの旧家の人間が、自宅の倉庫に古文書があることを思い出し、探して発見したそう。

富加町の教育委員会は「地域に残る口頭伝承には少なくとも150年の重みがあったことになり、地域の伝承が持つ意義を見直す成果となった」とコメントを出しました。

口頭伝承は信憑性が低くみられがちですが、そうとばかりはいえないようです。

このことは埋蔵金伝説にもあてはまるかもしれません。(この項続く)


堂洞軍記
 「堂洞軍記」の安政2(1855)年の写本(富加町郷土資料館所蔵)

(08:00)

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