2022年11月20日
みよし市は名古屋市の中心部から高速道路を使って車で40分弱ほどのところにあります。
莇生町小金下の無量寺を訪ね、山田憲昭住職にお話を伺いましした。
5年前に語ったことは覚えていないということでしだが、埋蔵金伝説の詳細について、あらためてお聞きすることができました。(内容は少し違っています)
無量寺裏の立山の山頂にあった祠の下に軍資金を埋めたのは、徳川家康ではなく、桶狭間の戦いで敗れてこの地に逃げ延びた伊豆原六郎左衛門重房。
伊豆原氏は愛知県大府市の横根城の城主でしたが、家来とともにそのまま莇生町に住み着き、現在、同町にはその子孫である伊豆原姓の家が何軒もあるとか。
また、小金下という字名はこの埋蔵金伝説に因んで生まれたそうです。(三好町誌に記されているように、小金下という地名から埋蔵金伝説が生まれたわけではないようです)
さらに大正時代の終わりに、埋蔵金を見つけようと山を掘った人物がいたらしい。
日本姓氏語源辞典で伊豆原という姓を調べると、「愛知県大府市横根町の横根城に戦国時代にあった。愛知県みよし市莇生町では桶狭間の戦いの後に来住したと伝える」と確かに記されています。
三好市のほかの町ではこの姓はみられません。
山田住職は埋蔵金話を、今は亡き地元の長老から聞いたそうです。
「昔の資料が残っていればもっと詳しいことがわかるのだが、伊勢湾台風で水浸しとなり、処分してしまった」と残念がられていました。(この項続く)
無量寺。右奥が立山=愛知県みよし市莇生町小金下で
莇生町小金下の無量寺を訪ね、山田憲昭住職にお話を伺いましした。
5年前に語ったことは覚えていないということでしだが、埋蔵金伝説の詳細について、あらためてお聞きすることができました。(内容は少し違っています)
無量寺裏の立山の山頂にあった祠の下に軍資金を埋めたのは、徳川家康ではなく、桶狭間の戦いで敗れてこの地に逃げ延びた伊豆原六郎左衛門重房。
伊豆原氏は愛知県大府市の横根城の城主でしたが、家来とともにそのまま莇生町に住み着き、現在、同町にはその子孫である伊豆原姓の家が何軒もあるとか。
また、小金下という字名はこの埋蔵金伝説に因んで生まれたそうです。(三好町誌に記されているように、小金下という地名から埋蔵金伝説が生まれたわけではないようです)
さらに大正時代の終わりに、埋蔵金を見つけようと山を掘った人物がいたらしい。
日本姓氏語源辞典で伊豆原という姓を調べると、「愛知県大府市横根町の横根城に戦国時代にあった。愛知県みよし市莇生町では桶狭間の戦いの後に来住したと伝える」と確かに記されています。
三好市のほかの町ではこの姓はみられません。
山田住職は埋蔵金話を、今は亡き地元の長老から聞いたそうです。
「昔の資料が残っていればもっと詳しいことがわかるのだが、伊勢湾台風で水浸しとなり、処分してしまった」と残念がられていました。(この項続く)
無量寺。右奥が立山=愛知県みよし市莇生町小金下で
(09:00)