2022年11月19日
このブログで以前に「愛知の埋蔵金伝説」の一つとして紹介した「小金下(こがねした)の埋蔵金」については、「朝日さす夕日かがやく…」という決まり文句が出てくることから、信憑性はないと判断して無視していましたが、ネットで興味深い情報を見つけました。
愛知県みよし市莇生町小金下の無量寺の住職が5年前、地元のお話し会で「寺の裏の立山に、徳川家康の軍資金が隠されているという逸話があり、これを目当てに掘った痕跡がいくつもあった」と語ったというものです。
これが本当なら、埋蔵金の存在を信じて行動に移した人間が少なからずいたことになります。
そんなわけで、地元の埋蔵金伝説を調べ尽くす意味からも、「小金下の埋蔵金」を今回調査してみたいと思います。
まずは、埋蔵金伝説について記録した文献から。
1962(昭和37)年発行の三好町誌に「当町には、かねとよぶ地名がかなりに多い…『朝日さす夕日かがやく木の下に…。』の歌を残し、金の茶釜でも埋めてあると伝承された莇生字小金下は、金の字をあてたことから、あらぬ伝説を生じたものと思われる」という記述を見つけました。
埋蔵金伝説を「あらぬ伝説」と片付けてはいますが、地元にずいぶんと流布していたことが伺えます。
町誌は「莇生」という地名の由来に関する伝承も紹介しています。
永禄3(1560)年5月、桶狭間の戦いに敗れて逃げてきた武将を、農民が古井戸に隠し、草を覆って追っ手から助けた。
その武将が徳川家康で、草のお陰で助かったことから、地名を「莇生」と改めた。
作り話にしては出来過ぎな感じがしますが、もちろん、桶狭間の戦いで家康がこの地に逃げ延びたという史実はありません。(この項続く)
埋蔵金が埋まっているとされる立山=愛知県みよし市莇生町小金下で
愛知県みよし市莇生町小金下の無量寺の住職が5年前、地元のお話し会で「寺の裏の立山に、徳川家康の軍資金が隠されているという逸話があり、これを目当てに掘った痕跡がいくつもあった」と語ったというものです。
これが本当なら、埋蔵金の存在を信じて行動に移した人間が少なからずいたことになります。
そんなわけで、地元の埋蔵金伝説を調べ尽くす意味からも、「小金下の埋蔵金」を今回調査してみたいと思います。
まずは、埋蔵金伝説について記録した文献から。
1962(昭和37)年発行の三好町誌に「当町には、かねとよぶ地名がかなりに多い…『朝日さす夕日かがやく木の下に…。』の歌を残し、金の茶釜でも埋めてあると伝承された莇生字小金下は、金の字をあてたことから、あらぬ伝説を生じたものと思われる」という記述を見つけました。
埋蔵金伝説を「あらぬ伝説」と片付けてはいますが、地元にずいぶんと流布していたことが伺えます。
町誌は「莇生」という地名の由来に関する伝承も紹介しています。
永禄3(1560)年5月、桶狭間の戦いに敗れて逃げてきた武将を、農民が古井戸に隠し、草を覆って追っ手から助けた。
その武将が徳川家康で、草のお陰で助かったことから、地名を「莇生」と改めた。
作り話にしては出来過ぎな感じがしますが、もちろん、桶狭間の戦いで家康がこの地に逃げ延びたという史実はありません。(この項続く)
埋蔵金が埋まっているとされる立山=愛知県みよし市莇生町小金下で
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