2022年11月11日

今回取り上げるのはネットで見つけた重原城の埋蔵金伝説(愛知県知立市)です。

全国の埋蔵金伝説について最も詳しいのは、しばらく前に休刊となった雑誌「歴史読本」の埋蔵金特集号で、同書には畠山清行編として350件余りが紹介されているのですが、そこにはありません。

重原城の埋蔵金伝説が掲載されているのは、知立市教育委員会が昭和58(1983)年に発行した「池鯉鮒(ちりゅう)のむかし話」で、以下に抜粋して紹介します。

天文23(1554)年、京都に上ろうとした今川義元は、織田信長方の山岡伝五郎が城主を務める重原城を攻めた。

伝五郎はわずかの兵で、今川勢の数十万人の兵を迎え討つが、勝ち目はない。

同年5月のある夜、伝五郎は信頼する家臣を呼ぶと、「この城はこれ以上持ちこたえることはできない。いつか再興して義元を倒すために、城の中にある数十万両の黄金を誰もわからない場所に埋めろ」と命じた。

家臣は数人の手下とともに黄金を運び出し、地中に埋めるが、城に帰ると途中に敵の襲撃に遭い、手下はすべて殺されてしまう。

重い傷を負いながら城にたどり着いた家臣は、伝五郎に「朝日の照る、夕日の輝き」と黄金を埋めた場所を伝えた。

翌日、重原城は今川勢に攻め落とされた。


詳しくは後述しますが、地元のテレビ局「メーテレ」が6年前にこの埋蔵金伝説を取り上げ、放送した内容をネットで見ることができました。

同テレビ局が昔話の執筆者らに取材したところによると、地元に代々伝わる話のようで、正確には黄金数十万両ではなく、金の針金1000尋(ひろ)(約1.8km)だそうです。(この項続く)


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 重原城址の石碑=愛知県知立市上重原町で

(08:00)

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