2022年11月04日

前回のブログで、埋蔵金の期待値の計算式を考えてみました。

すなわち、(埋蔵金の額)✖(埋蔵金伝説の信憑性)✖(埋蔵金が見つかる可能性)=(埋蔵金の期待値)です。

帰雲城の埋没金の場合、天正地震による山津波で、帰雲城と城下の町が埋まったのは実際にあった出来事とみていいので、埋蔵金伝説の信憑性は100%に近いものといえるでしょう。

埋蔵金が見つかる可能性も、帰雲城の詰城跡が発見されたので、その近くに埋まっているのは間違いなく、かなり高まりました。

しかしながら、埋蔵金の額は、もし豊臣秀吉に金銀を献上した後に地震が起きたとすると、ほとんど期待できません。

3者を掛け合わせた期待値は低く、時間と予算をかけて発掘するのは割の合わない作業となります。(もちろん歴史研究や観光資源としての活用が目的の場合は別です)

同様に徳川幕府の御用金を考えてみましょう。

埋蔵金の額は、甲府の御金蔵から運んだ24万両と江戸城の御金蔵から消えた360万両の計384万両。

埋蔵金伝説のメインとなるのは、水野智義氏が埋蔵に関わった義父から直接聞いた話で、江戸城から運び出された御用金が利根川を遡って上州方面に運ばれたことを示唆する幾つもの目撃談が、信憑性を高めます。

さて、埋蔵金が見つかる可能性ですが、これまで家康像や銅板の地図などさまざまな手掛かりをもとに大勢の人間が探索していますが、発見できていません。

埋蔵金の期待値は高く、発掘を試みる価値は十分あると思われますが、結果を得るためには新たな情報や、手掛かりについての新しい解釈が必要なようです。


(08:00)

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