2022年11月01日

テレビ愛知の特集番組では、山城跡の南側の高台で発掘を行い、これまでに木片や馬の骨、金属片などが出土しています。

ただ、発掘場所が居館の近くなら、人骨や建材が大量に出てこなければおかしいので、どうも別の場所のようです。

土地を掘削するためには地権者の許可が必要ですし、予算の問題もありますので、なかなか希望通りの場所を掘るというわけにはいかないのでしょう。

ところで、帰雲城とともに5000億円とも2兆円とも言われる黄金が埋まっているというのは、果たして真実なのか、あらためて検証してみたいと思います。

産金地が予期しない大地震で埋没したのだから、蓄えた砂金や金塊がそのまま残されているだろう、というのが埋没金伝説の根拠です。

金持ちの家の金庫には、きっと大金が保管されているだろうと推測するのと同じです。

ここで当時の内ヶ嶋氏が置かれた状況をみてみたいと思います。

本能寺の変から2年後の天正12(1584)年4月、天下の覇権をかけて、織田信雄・徳川家康の連合軍と豊臣秀吉軍が小牧、長久手で戦います。

越中(富山県)の佐々成政は徳川家康側について、秀吉軍を背後から攻めようとしますが、秀吉側の前田利家が立ちはだかり、佐々を応援するために同盟関係にある内ヶ嶋氏理が越中に出兵します。

小牧・長久手の戦いは結局、秀吉と信雄による和議という形で終結しますが、佐々と氏理は敗戦の憂き目に遭います(この項続く)


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 白川村の史跡に指定されている荻町城跡=岐阜県白川村荻町で

(08:00)

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