2022年10月29日

白川郷埋没帰雲城調査会の会員が、帰雲川原と呼ばれた地区の山の上で遺構のようなものを見つけ、中世・近世の城郭研究を専門とする中井滋・滋賀県立大名誉教授が、竪堀や掘切の存在を確認し、山城跡であるとのお墨付きを与えたのです。

標高622mの地点で、地震による山津波の被害を免れたようです。

付近で帰雲城以外に山城を建てたなどという記録はありませんから、帰雲城跡とみてまず間違いないでしょう。

現地は帰雲城址の石碑から、国道156号を挟んで南へ100mほどの位置です。

ご存知の方もいると思われますが(私は今回勉強して知りました)、当時の城は、戦時に立てこもる詰城(つめじろ)と普段生活する居館(きょかん)のセット、二元構造となっています。

テレビ愛知の特集番組は、詰城跡の発見を伝えた後、近くにあるはずの居館探しに焦点を移します。

黄金が埋まっているとすれば、詰城ではなく居館のそばになりますから、当然のことかもしれませんが、なんとも勿体ない話です。

もし記者会見を開いて、「帰雲城跡とみられる山城跡を発見」と発表すれば、それなりのニュースになっていたのではないでしょうか。

白川村教育委員会の担当者の方にお聞きしたところ、岐阜県に昨年度、埋蔵文化財包蔵地(遺跡)の申請をしたそうです。

ただし、「本格的な調査をしなければ、帰雲城跡とは断定できない。調査の具体的な予定は今のところない」とのことでした。(この項続く)


山城跡
 帰雲城跡と見られる山城跡が見つかった場所(Google Map)


(09:00)

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