2022年10月19日

最初に取り上げるのは、武信玄が黒川金山(山梨県甲州市塩山)の坑道に隠したとされる埋蔵金です。

近くを流れる柳沢川に「花魁(おいらん)淵」と呼ばれる滝がありますが、これは信玄時代に、この上に釣屋台を設けて坑夫相手の遊女55人を集め、宴会のさなかに藤蔓を切り落として殺害したことから、その名が付けられたといわれています。

遊女たちが殺されたのは、坑道に隠した軍用金の秘密が漏れるのを防ぐためで、大勢の坑夫たちも同様の理由で殺害されたいうことです。(にわかには信じがたい話ですが)

ここまでなら、単なる伝説の域を出ないのですか、付近には埋蔵金の実在をうかがわせる幾つもの逸話が残り、埋蔵金マニアの興味を掻き立てます。(以下、箇条書きにします)

・幕末のころ、平右衛門という男が妻と10歳くらいの男児を連れて甲府から移住し、ある時、住んでいた小屋が焼け、平右衛門と妻が切り殺されているのが見つかった。遊びに行っていて助かった男児の話では、移住したのは軍用金探しが目的で、数日前に一部が見つかり、母親から金の延べ棒を見せられたという。

・明治の終わりごろ、花魁淵の近くで転落した男性(高橋修二郎)の遺体が見つかり、残された荷物の中から金の延べ棒10本と発見場所を示すノートが見つかった。ノートは水に濡れ、「高橋〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇に 腕の形〇〇〇〇〇〇〇〇〇る 大木〇〇〇右3本〇〇〇〇〇〇〇〇 山〇〇〇〇〇あり穴は大きな岩の 左からみ〇〇〇〇〇〇〇る 木で〇〇〇〇〇〇本 棒は大〇〇〇〇〇〇十枚 のべ板〇〇〇〇二つの穴 にもま〇〇〇〇〇ある 右の〇〇〇口は川につ いて下って三つ目の〇 のほらあなから入る」(〇は判読不明)と記されていた。

・大正の初め、東京の若者(金沢猪作)が登山で道に迷い、たまたまたどり着いた縦穴で、行者姿の男性(弓削一司郎)が砂金入りの壺を取り出そうとしているのを目撃した。弓削は直後に熊に襲われ、金沢が手当てをして東京まで送ると、砂金は信玄の埋蔵金であることを打ち明け、姿を消した。金沢は昭和3年、横浜根岸の競馬場で若い女性を連れ、見違えるほど立派な格好をした弓削を見かけたという。(この項続く)



武田信玄
 武田信玄画像(東京大学史料編纂所所蔵模写)

(08:00)

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