2022年10月12日
入口から入り、信玄坑を目指して山道をジグザクに25mほど登ります。
かなりの急斜面で、運動靴以上が欠かせません。
途中にテラス(平場)があり、その奥にもかつては坑道があったはずですが、埋まってしまったようです。
信玄坑は頑丈そうな錆びた鉄柵で囲まれ、すぐに見つかりました。
案内版によると、総延長は140mほどで、途中で枝分かれしてします。(加藤さんの説明では、総延長は約30mで、枝分かれは1、2カ所)
中に入れないのは残念ですが、坑道の直径は1mほどで、大の大人には窮屈そうです。
何の変哲もない洞穴と言われればその通りですが、今から500年近く前の戦国時代から江戸時代にかけて、金山衆と呼ばれる人々が金鉱石を掘り出す様子を思い浮かべることができます。
この後、隣の筋山(すじやま)にも残る坑道と、現在は畑になっている精錬所跡を、いずれも地主さんの了解を得て見学させてもらい、探訪会の半日の日程は終了。
信玄坑は正確には武田信玄が掘ったものではありませんが、この地でかつて金の採掘が盛んだったことを示す歴史遺産として、その価値が失われることはないでしょう。
古町川では今も砂金が採れるらしく(この日も体験会のようなものが行われていました)、一緒に観光ツアーが企画できそうです。
最後に、加藤さんに設楽町に埋蔵金伝説はありませんかとお尋ねしたところ、「さあ、聞いたことはないですね」とのご返事でした。(この項終わり。加藤さんは山野草や鉱石にも大変お詳しく、いろいろなお話をお聞きできました)
鉄柵で囲まれた信玄坑=愛知県設楽町津具で
かなりの急斜面で、運動靴以上が欠かせません。
途中にテラス(平場)があり、その奥にもかつては坑道があったはずですが、埋まってしまったようです。
信玄坑は頑丈そうな錆びた鉄柵で囲まれ、すぐに見つかりました。
案内版によると、総延長は140mほどで、途中で枝分かれしてします。(加藤さんの説明では、総延長は約30mで、枝分かれは1、2カ所)
中に入れないのは残念ですが、坑道の直径は1mほどで、大の大人には窮屈そうです。
何の変哲もない洞穴と言われればその通りですが、今から500年近く前の戦国時代から江戸時代にかけて、金山衆と呼ばれる人々が金鉱石を掘り出す様子を思い浮かべることができます。
この後、隣の筋山(すじやま)にも残る坑道と、現在は畑になっている精錬所跡を、いずれも地主さんの了解を得て見学させてもらい、探訪会の半日の日程は終了。
信玄坑は正確には武田信玄が掘ったものではありませんが、この地でかつて金の採掘が盛んだったことを示す歴史遺産として、その価値が失われることはないでしょう。
古町川では今も砂金が採れるらしく(この日も体験会のようなものが行われていました)、一緒に観光ツアーが企画できそうです。
最後に、加藤さんに設楽町に埋蔵金伝説はありませんかとお尋ねしたところ、「さあ、聞いたことはないですね」とのご返事でした。(この項終わり。加藤さんは山野草や鉱石にも大変お詳しく、いろいろなお話をお聞きできました)
鉄柵で囲まれた信玄坑=愛知県設楽町津具で
(08:00)