2022年10月11日

金鉱脈の見つける際には、一般的にまず川で砂金を見つけ、河庄に横たわる金を採りながら遡り、金鉱山に到達するという段取りになります。

加藤さんによると、武田信玄が津具金山で採金を行ったのはわずか1年で、とても坑道掘りまでたどり着けなかっただろうということです。

砂金堀りの段階だとすると、24万両を採掘したというのも作り話になります。

また、信玄公のある金山(かなやま)は昭和30年代に人工的な植林が行われるまで禿山で、山の至る所に露店掘りの跡や坑道が残っていて、穴だらけだったそう。

設楽町の史跡にも指定されている信玄坑は、昭和初期に、坑道の一つが便宜的に選ばれたものでしかないそうです。

ではなぜ信玄坑という名称となったのか。

これも加藤さんによると、信玄が実際に津具に足を踏み入れたのは、病で甲州に戻る際の一度だけ。

とにかく信玄という名前は人気があり、信玄が通った道は信玄街道、座った場所は信玄塚と名付けられるほど。

信玄坑もそうした人気にあやかったのだろうということでした。

さて、古町川に沿って800mほど歩くと、金山の麓をぐるりと囲んだ金網フェンスに、「信玄坑入口」の標示が掲げられた箇所に到着します。

近くの扉の取っ手部分は、鎖でぐるぐる巻きにしてつながれています。(簡単にほどけますが)

信玄坑は自由に見学できるとばかり思っていましたが、実は数年前から設楽町教育委員会の許可が必要になったそうです。(この項続く)


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 信玄坑の入口=愛知県設楽町津具で

(10:00)

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