2022年10月10日
武田信玄が元亀3(1572)年に採金を始め、甲州金24万両を採掘したとされる愛知県設楽町津具の津具金山の「信玄坑」を訪ねました。
津具金山は武田信玄が滅びた後、織田信長、徳川家康へと経営が引き継がれたことでも知られています。
武田信玄の金鉱山が愛知県内にあるというのは、意外に思われるかもしれません。
信玄は西上作戦で元亀4(1573)年に野田城(愛知県新城市)を攻め落とした後、亡くなるわけですが、その2年前に足助城(愛知県豊田市足助町)を攻略し、津具を支配下に置いていたわけです。
信玄が坑道に埋蔵金を残したという伝説は有名で、埋蔵金探しの参考のためにもぜひ一度見学したいと思っていたのですが、設楽町観光協会がガイド付きの探訪会の参加者を募集していることをネットで知り、これに乗らせていただくことにしました。
当日は設楽町津具総合支所に午前9時に集合。
実は、同じ県内だからと高を括っていたのですが、午前7時に名古屋市の自宅を車で出発し、途中の曲がりくねった山道を猛スピードで飛ばして、ぎりぎりの5分前に到着することがでました。
参加者は定員いっぱいの20人。
奥三河ふるさとガイドの加藤博俊さんから、金鉱脈の生まれる仕組みや津具金山の歴史について説明を受けた後、信玄公へと向かいます。
実は加藤さんのお話で、信玄坑について巷に出回っている情報がまったくの出鱈目であることが判明しました。(この項続く)
奥三河ふるさとガイドの加藤さん(右)=愛知県設楽町津具で
津具金山は武田信玄が滅びた後、織田信長、徳川家康へと経営が引き継がれたことでも知られています。
武田信玄の金鉱山が愛知県内にあるというのは、意外に思われるかもしれません。
信玄は西上作戦で元亀4(1573)年に野田城(愛知県新城市)を攻め落とした後、亡くなるわけですが、その2年前に足助城(愛知県豊田市足助町)を攻略し、津具を支配下に置いていたわけです。
信玄が坑道に埋蔵金を残したという伝説は有名で、埋蔵金探しの参考のためにもぜひ一度見学したいと思っていたのですが、設楽町観光協会がガイド付きの探訪会の参加者を募集していることをネットで知り、これに乗らせていただくことにしました。
当日は設楽町津具総合支所に午前9時に集合。
実は、同じ県内だからと高を括っていたのですが、午前7時に名古屋市の自宅を車で出発し、途中の曲がりくねった山道を猛スピードで飛ばして、ぎりぎりの5分前に到着することがでました。
参加者は定員いっぱいの20人。
奥三河ふるさとガイドの加藤博俊さんから、金鉱脈の生まれる仕組みや津具金山の歴史について説明を受けた後、信玄公へと向かいます。
実は加藤さんのお話で、信玄坑について巷に出回っている情報がまったくの出鱈目であることが判明しました。(この項続く)
奥三河ふるさとガイドの加藤さん(右)=愛知県設楽町津具で
(10:00)