2022年09月24日

埋蔵金の在りかを考える上で、歴代の前野小平治の人物像に焦点を当ててみたいと思います。

もちろん注目は、前野家の中興の祖で、埋蔵金を埋めた本人である5代目(佐蔵)です。

前々回に見た通り、佐蔵は4代目の子供ではなく、3代目が亡くなる年にもうけた末子です。

59歳で隠居した4代目は、人物を見込んで佐蔵が跡目を継ぐことを嘱望しますが、佐蔵は4代目の長男、小八郎(後の6代目)に遠慮して、これを頑として受けません。

親族会議の結果、「跡目は一応、小八郎に継がせるが、佐蔵がそれを後見する」ということで決着します。

佐蔵は生涯、「佐蔵」で通し、「5代目」とも「前野小平治」とも名乗りません。

5代目小平治と呼ばれるのは死後、祀られてからです。

5代目の人物像について、東大路保義氏は「天性の異材で沈着豪放、毅然として何事にも屈せず、かつ任侠の念の強い人となりであった」と絶賛しています。

埋蔵金伝説では、5代目が尾張藩による取り潰しに備えて金銀財宝を埋め、取り潰しの恐れが無くなった後も、そのまま掘り出さなかったとしていますが、そんなことが果たしてあり得るでしょうか。

5代目は、6代目を慮って襲名を断ったほど任侠心に厚い人物ですから、間違いなく6代目に埋蔵金の場所を伝えたはずです。

商才に欠けていたとされる6代目は、家業を番頭手代に任せ、前回見た通り、桁違いの喜捨と豪遊を繰り返しますが、これが埋蔵金の資金なしに行われたとは到底思えません。(この項続く)


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 埋蔵金は高宮神社の境内に埋められたという説も=愛知県南知多町で

(08:00)

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