2022年09月21日

埋蔵金伝説の舞台である愛知県南知多町を車で訪ねました。

自動車専用道の知多半島道路と南知多道路を使えば、名古屋から一時間ほどです。

前野小平治の子孫の方は現在、名古屋に住んでおり、南知多町内に家と敷地はありますが、切り売りを重ねて残ったもので、往時の面影はありません。

その代わりといっては失礼ですが、前野小平治と同じ廻船船主として栄えた内田佐七の明治初期の邸宅(重要文化財)が土日に一般公開され、内海の豪商の暮らしぶりを偲ぶことができます。

敷地内にある米蔵は、実は前野家から移設されたものです。

初代内田佐七は5代目前野小平治から50両を借りて廻船業を始め、明治、大正時代には銀行や乗り合いバスにも事業を拡大して成功を納めました。

前野小平治が6代目以降に徐々に没落の道を辿ったのとは対照的です。

すぐ近くに南知多町長を16年にわたって務めた内田恒助(つねすけ)さんが住んでおり、前野小平治の埋蔵金について貴重なお話を聞くことができました。

内田さんによると、前野家による埋蔵金の発掘作業が、子供時代から記憶しているだけでも4、5回あったそうです。

最後は内田さんが区長だった昭和42年で、前野家の再興を願う5代目内田佐七が陣頭指揮を執り、相当大掛がりにやったものの見つからず、前野家はこれを区切りに埋蔵金探しを断念したとか。

「誰かに盗掘されたのかどうかはわからないが、埋蔵金はもうない」というのが内田さんのお考えのようです。(この項続く)


前野小平治2
 前野小平が使っていた米蔵=愛知県南知多町の旧内田家住宅で



(08:00)

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