2022年09月10日
今回は、中部地方に伝わる埋蔵金伝説の中でもマイナーで、金属探知機による現地での探索が可能なものを選びました。
一色山城の金鶏伝説です。
もしかしたら、日吉神社の埋蔵金や尾張徳川家の駿府御譲金よりも、埋蔵金が見つかる可能性は高いかもしれません。
一色山城といっても、ほとんどの方は聞いたことがないでしょう。
愛知県瀬戸市の北部にあった山城です。
築城時期は不明ですが、戦国時代に織田信長の家臣だった磯村左近が居城したとされます。
この城の落城をめぐって、地元には二つの興味深い伝説が残されています。
天文3(1534)年、磯村左近が感応寺の和尚と囲碁の対戦中、品野秋葉城主の松平家重と落合城主の戸田家光が攻め寄せ、一色山城を焼き討ちして引き上げた。
敵襲来の急報を受けた左近は、碁を悠々と打ち終えた後に駆け付けたが、奮戦むなしく討ち死にした。
その地は後に勝負が沢(菖蒲ケ沢)と名付けられたという。
また、左近には倶姫という美しい姫がいたが、燃え盛る城内から家宝の金鶏を持ち出し、大井戸に身を投げて死んだ。
以来、毎年元旦の早朝に一色山の頂上で鶏が時を告げ、姫を慰めたという。
金鶏伝説は全国各地に残されていますが、埋蔵金の隠し場所を指していることが多いようです。
一色山城の大井戸があった場所がわかれば、そこからお宝が見つかるかもしれません。(この項続く)

寛政4年の春日井郡上水野村絵図。中央上に古城跡(一色山城址)が見える
一色山城の金鶏伝説です。
もしかしたら、日吉神社の埋蔵金や尾張徳川家の駿府御譲金よりも、埋蔵金が見つかる可能性は高いかもしれません。
一色山城といっても、ほとんどの方は聞いたことがないでしょう。
愛知県瀬戸市の北部にあった山城です。
築城時期は不明ですが、戦国時代に織田信長の家臣だった磯村左近が居城したとされます。
この城の落城をめぐって、地元には二つの興味深い伝説が残されています。
天文3(1534)年、磯村左近が感応寺の和尚と囲碁の対戦中、品野秋葉城主の松平家重と落合城主の戸田家光が攻め寄せ、一色山城を焼き討ちして引き上げた。
敵襲来の急報を受けた左近は、碁を悠々と打ち終えた後に駆け付けたが、奮戦むなしく討ち死にした。
その地は後に勝負が沢(菖蒲ケ沢)と名付けられたという。
また、左近には倶姫という美しい姫がいたが、燃え盛る城内から家宝の金鶏を持ち出し、大井戸に身を投げて死んだ。
以来、毎年元旦の早朝に一色山の頂上で鶏が時を告げ、姫を慰めたという。
金鶏伝説は全国各地に残されていますが、埋蔵金の隠し場所を指していることが多いようです。
一色山城の大井戸があった場所がわかれば、そこからお宝が見つかるかもしれません。(この項続く)

寛政4年の春日井郡上水野村絵図。中央上に古城跡(一色山城址)が見える
(09:00)
