2022年09月05日
今回から、尾張徳川家の駿府御譲金についてリポートします。
埋蔵金伝説の内容を振り返ります。
元和元(1615)年の大阪夏の陣に勝利した徳川家康は、大阪城にあった豊臣家の金銀を手に入れ、「駿府御譲金」として、徳川御三家にそれぞれ30万両(時価150億円)ずつ分配したが、このうち尾張徳川家に分配された30万両の行方がわかっていない。
尾張徳川家では、有事の際にしか使ってはならないものとして、名古屋城の小天守の地下蔵に収めたが、その後ひそかに尾張徳川家の祈願寺である興正寺(こうしょうじ)の大日堂の地下に移されたらしい。
江戸時代末期の尾張藩士、奥村得義(のりよし)がまとめた名古屋城の記録「金城温古録」には、嘉永6(1853)年、尾張藩が大日堂の地下を掘り返し、30万両の発掘を試みた(実はこのときに30万両を名古屋城から移した?)という記述がある。(八重野充弘監修「日本全国『隠し財宝』完全マップ」から)
興正寺(名古屋市昭和区、正式名称は八事山興正寺)について簡単にご紹介します。
貞享5(1686)年、尾張2代目藩主徳川光友の帰依を受けて創建された名古屋の名刹です。
高野山の別格本山で、「尾張高野」とも称されます。
境内にある愛知県内唯一の五重塔は、国の重要文化財。
総本尊の大日如来像は名古屋三大仏の一つで、同市の重要文化財に指定されています。
実は、興正寺を巡っては近年、寺の土地を無断で売却(その額はなんと138億円)した元住職が、高野山真言宗の本山から罷免され、訴訟合戦を繰り広げる騒ぎがあり、地元では大きなニュースとなりました。
金額が巨額なことから、埋蔵金話とどこかつながっているのではないかとも思ったのですが、これは穿ち過ぎだったようです。(この項続く)
興正寺の五重塔=名古屋市昭和区で
埋蔵金伝説の内容を振り返ります。
元和元(1615)年の大阪夏の陣に勝利した徳川家康は、大阪城にあった豊臣家の金銀を手に入れ、「駿府御譲金」として、徳川御三家にそれぞれ30万両(時価150億円)ずつ分配したが、このうち尾張徳川家に分配された30万両の行方がわかっていない。
尾張徳川家では、有事の際にしか使ってはならないものとして、名古屋城の小天守の地下蔵に収めたが、その後ひそかに尾張徳川家の祈願寺である興正寺(こうしょうじ)の大日堂の地下に移されたらしい。
江戸時代末期の尾張藩士、奥村得義(のりよし)がまとめた名古屋城の記録「金城温古録」には、嘉永6(1853)年、尾張藩が大日堂の地下を掘り返し、30万両の発掘を試みた(実はこのときに30万両を名古屋城から移した?)という記述がある。(八重野充弘監修「日本全国『隠し財宝』完全マップ」から)
興正寺(名古屋市昭和区、正式名称は八事山興正寺)について簡単にご紹介します。
貞享5(1686)年、尾張2代目藩主徳川光友の帰依を受けて創建された名古屋の名刹です。
高野山の別格本山で、「尾張高野」とも称されます。
境内にある愛知県内唯一の五重塔は、国の重要文化財。
総本尊の大日如来像は名古屋三大仏の一つで、同市の重要文化財に指定されています。
実は、興正寺を巡っては近年、寺の土地を無断で売却(その額はなんと138億円)した元住職が、高野山真言宗の本山から罷免され、訴訟合戦を繰り広げる騒ぎがあり、地元では大きなニュースとなりました。
金額が巨額なことから、埋蔵金話とどこかつながっているのではないかとも思ったのですが、これは穿ち過ぎだったようです。(この項続く)
興正寺の五重塔=名古屋市昭和区で
(09:00)