2022年08月29日

ここで日吉神社(正式名称は「清洲山王宮 日吉神社」)の由緒について簡単に説明します。

発祥は宝亀5(771)年で、文明10(1478)年に清須城が尾張の守護所となってからは、清洲総氏神として信仰を集めてきました。

山の神を祀り、その使いを申(猿)としていることから、境内には様々な猿の神像が置かれています。

神社の一角には、女性がこの石に触れると立ちどころに懐妊するとされる「子産石」(豊臣秀吉の生母もこの石に触れて授かり、幼名を「日吉丸」と名付けたとか)があり、私が訪れた日も、何組かのカップルの姿が見られました。

さて、日吉神社で見つかった埋蔵金について、郷土資料にはどのように記されているのか。

清須市立図書館で、清洲町史の中に以下のような記述があることを教えていただきました。

埋蔵金が見つかったのは享保11(1726)年4月11日のこと。

清洲山王社(日吉神社)領の農民から、境内で薪になるものがあればいただきたいと申し出があり、神主の丹羽外記は本社の生垣の脇にあった古木の切り株を掘り取ることを許可した。

午後2時ごろ、十兵衛と八衛門の2人が金を掘り出したという連絡が社務所にあり、祢宜たちが驚いて調べてみると、大判39枚、切金16枚が確認された。

祢宜たちは垣根を作って立ち入り禁止にし、12日にも慎重に調べたところ、5枚の切金がさらに見つかり、計60枚になった。

外記は発掘した金を持参して寺社奉行に届けた。

藩では金を享保小判に替えて、すべて山王社に還元することにたが、その額は300両余り。

このうち30両を外記に、10両ずつを十兵衛と八衛門に与え、残りの250両余りを清洲の庄屋に預けて、山王社の修繕費として積み立てた。
(この項続く)

日吉神社
 拝殿の両脇には狛犬ではなく猿が置かれています(愛知県清須市で)

(08:00)

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