2022年08月28日

暑さが峠を過ぎたこともあり、いよいよ埋蔵金伝説の調査をスタートします。

第一弾は、現場が私の名古屋市の自宅から近いこともあり、日吉神社(愛知県清須市)の埋蔵金を選びました。

時間にしてわずか半日ほどですが、なかなか有意義な調査ができました。

一方で足りない情報もあり、今後の宿題にしたいと考えています。

この埋蔵金伝説の内容をもう一度おさらいします。

関ヶ原の戦い後に清洲城主となりながら、慶長12(1607)年に病没した松平忠吉の重臣、小笠原監物(吉光)が、いつの日かの主家再興を願って、その資金として埋蔵された。

地元に残る古文書によると、享保11(1726)年、村人が日吉神社の慶長大判や中判など、合計60枚を掘り当て、大判には「監物所持」と墨書きされていた。

再興資金なら、60枚では少なく、もっと埋まっているのではないか。

そう考えた名古屋市の郷土史研究家のグループ約20人が1979年6月、金属探知機を使った探索を境内で行ったが、見つかったのは宝永通宝の10文銭1枚と、古い刀一振りだけだった。
(八重野充弘著「日本の埋蔵金100話」から)


日吉神社を訪ね、職員の方に江戸時代に大判を掘り当てたという場所を教えてもらいました。

本殿の裏、北西の隅に当たるところです。

44年前、「11PМ」という番組の中で行われたという金属探知機による探索もご存知でした。

「境内のいろんな場所を調べたが、見つからなかった。その後も何か見つかったという話は聞いていない」ということでした。(この項続く)

IMG_1831
 大判が見つかった場所(愛知県清須市の「清洲山大宮 日吉神社」で)

(08:00)

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