2022年08月16日

愛知、岐阜ときたので、次は三重となります。

気になるのは、いかにも何か埋まっていそうな長者屋敷の埋蔵金です。

ここは、鈴鹿市による発掘調査が進められていて立ち入り禁止なのでしょうか?

三林(みつばやし)家の埋蔵金(東員町)
1570年から74年にかけて、織田信長と長嶋(現在の桑名市)の願証寺を中心とする本願寺勢力との間で、長嶋一揆と呼ばれる激しい戦闘が繰り広げられた。この戦いで一揆軍に付いた六把野(ろっぱの)城の三林氏は、落城の際、いつの日かの再興を祈って軍用金三万両を家臣に埋めさせたとされる。

南在(みなみざい)家の埋蔵金(亀山市)
伊勢平氏が上洛する際に抜け道を案内をした南在家の村人は、お礼として「おしきせんばなわせんば」という財宝をもらい、観音堂に保管したが、山津波で行方不明となった。江戸時代に谷川から仏像が見つかり、右耳の穴から「正月三日朝日のさすころ、とりがときをつくるところ」という財宝のありかを示す紙切れが出てきたが、解読されていない。

長者屋敷の埋蔵金(鈴鹿市)
長者屋敷遺跡(史跡・伊勢国府遺跡)の北部に「金藪」と呼ばれる森があり、この土地に住んでいた長者がここに金塊を埋め、「村が困ったら、石の下を掘れ」と言い残したとされる。森の中には高さ2メートルほどの盛り土があり、古墳という説もあるが、詳細は不明。

的矢美作守(まとやみまさくのかみ)の埋蔵金(志摩市)
名族として栄えた的矢家が、1531年に九鬼水軍の奇襲を受けて敗れ、的矢の地を落ちのびる際に、再起の資として必要な黄金を埋めたとされる。「朝日さす夕日輝くその下に、黄金千両あり明の月」という美作守が詠んだ歌が残されている。


(09:00)

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