2022年08月15日

続いて岐阜県の主な埋蔵金伝説です。

この中で注目は、地元テレビでも最近取り上げられた帰雲(かえりくも)城の埋没金でしょう。

日帰りで出掛けるには少し距離がありますが、途中、温泉にでも泊まって、ぜひ現地リポートをしてみたいと思います。

帰雲城の埋没金(白川村)
安土桃山時代の1585年11月、中部地方で発生したマグニチュード8.2の天正大地震により、帰雲山が崩壊し、帰雲城は城下町もろとも埋没した。城主の内ヶ嶋氏理(うちがしま・うじはる)をはじめとする住民数百人とともに、城内に蓄えられた金銀が地中に埋まり、その価値は数千億円ともいわれる。

堂洞(どうぼら)城の埋蔵金(富加町)
斎藤龍興(たつおき)に仕えていた岸勧解由(かげゆ)は1565年、織田信長の侵攻を受け、堂洞城に立てこもったが、最後は妻とともに自刃した。勧解由は落城の際に軍用金を埋め、「朝日さす夕日かげらふ堂洞城に、こがねざっくり隠しおく」と詠んだとされる。

間関(まぜき)峠の埋蔵金(美濃加茂市)
織田信長に攻め落とされた鵜沼城の多治見勢の残党が、伊深の里に落ちのび、間関の峠の下に軍用金五千両を埋め隠したと言い伝えられている。伊深にはほかにも各所に埋蔵金伝説があり、「朝日さし夕日かがやくアマンドの、この木の下にうずめおくぞよ」等の歌が残る。

小那比(おなび)の埋蔵金(八幡町)
昔、大金持ちが黄金を埋めたという話が「朝日照る夕日さすこの木の元に、黄金埋めおく百万両」という歌とともに伝わっている。また「朝日が輝き夕日が照るあの木のもとに、この木のもとに朱が千倍金が千倍」という歌も残り、こちらは那比新宮社の宝物を埋めた場所を指し示しているとされる。



(09:00)

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