2022年12月11日

JTC(日本トレジャーハンティング・クラブ)の忘年会が開かれ、代表の八重野充弘氏をはじめ9人が参加して大いに盛り上がりました。

お店は東京・二子玉川のセルフサービスフレンチ「ルナティック」さんです。

食券で注文してカウンターで飲み物と食事を受け取るスタイルで、本格的なフランス料理を廉価かつ気軽に味わえます。(アパートを丸ごと改装した外観も特徴的です)

コロナ感染者の増加が少し心配されたのですが、貸し切り状態(たまたまほかにお客さんがいなかった?)で、思う存分、飲み食い会話を楽しむことができました。

私を除く8人中4人の方とは千葉の塩見海岸の小判探しでお会いしており、残る4人の方とは初対面だったのですか、どなたも気さくな紳士然とした方ばかりで、まるで昔の友人と再会したような気分でした。

この日はJTCの来年の活動計画も話し合われる予定でしたが、お堅い議論はなく、「来年こそは埋蔵金を発掘しよう」という掛け声に終始しました。

JTCについてですが、八重野氏の話では、当初は実際に埋蔵金探しをしている人たちの連絡組織という性格で、会員数は二十数人程度だったそうです。

埋蔵金探しに関心を持つ人に門戸を広げた2000年代以降は会員数が増え、現在は百数十人に上るとか。(ただし、連絡のつかない幽霊会員もずいぶん多いそう)

埋蔵金を特集した昔の雑誌を読むと、現地に住み着いて埋蔵金探しを何十年も続けているようなトレジャーハンターが登場しますが、「現在はもういない」(八重野氏)ということでした。


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 八重野代表からJTCの会員証をいただきました

(11:00)

2022年12月09日

山下財宝の実在をうかがわせるもう一つの情報が、行方不明となったマル福金貨です。

マル福金貨とは、山下奉文大将の前任者である黒田重徳中将がフィリピン方面軍司令官だった1944年2月に、東京から台北経由で空輸された金貨のことです。

写真をみてもらえばわかりますが、円形の金貨に「福」の字が刻印されていたことから、マル福金貨と呼ばれています。

直径30.54mm、重さ31gで、品位は24K/1000(純金)です。

当時のフィリピンは、米軍の偽札発行による市場かく乱策もあって極度のインフレ状態に陥っており、金貨はそれに対処するために運び込まれました。

大本営陸軍参謀を務めた堀栄三の著書「大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇」によると、金貨の枚数は2万5000枚で、山下司令部がルソン島北部のバギオに移動するときに約1万枚が各拠点や守備隊に配分され、残りの約1万5000枚が北方の山中に移されたそうです。

この約1万5000枚がどうなったかは、最終輸送に携わった者が全滅したため、皆目不明としています。

同書は、1950(昭和25)年にマル福金貨1枚を東京の貴金属店で換金した者があり、3万円で引き取られたことも紹介しています。

ちなみに1万5000枚を地金に換算すると465㎏、現在の金相場で40億円近くとなります。

これだけの財宝が現在もフィリピンのどこかに埋まっている可能性は十分にあると考えられます。(この項終わり)


丸福金貨
 マル福金貨

(19:30)

2022年12月08日

山下財宝は、識者によって「捏造」「都市伝説」と片付けられることが多いのですが、実在をうかがわせる二つの情報があります。

一つは1971年にフィリピンのルソン島北部のバギオで、ゴールデン・ブッダ(黄金の仏像)が発掘された話です。

錠前師のロジャー・ロハス氏は元日本兵から受け取った地図をもとに財宝を探し、バギオ総合病院近くの地下壕で、重さ約1トンの黄金の仏像と多くの箱を発見します。

持ち出した一つの箱の中には24本の金の延べ棒が入っていました。

また、10人がかりで運んだ仏像の首は取り外すことができ、中には数百個のダイヤモンドの原石が詰まっていたそうです。

ロハス氏が山下財宝の発見で大喜びしたのも束の間、マルコス大統領の命を受けたフィリピン軍に拘束され、黄金の仏像や金の延べ棒は押収されます。

仏像はその後、ロハス氏に返還されますが、それは真ちゅう製の偽物でした。

ロハス氏は1988年、マルコス前大統領とイメルダ夫人に損害賠償を求めて、亡命先のハワイ州の連邦地方裁判所に提訴。

マルコス前大統領とロハス氏が死去した後の1996年、裁判所はイメルダ夫人に対し、財宝の代金とロハス氏を違法に拘束して拷問したことへの補償金として計220億ドル(約30兆円)を、ロハス氏の遺族らに支払うよう命じます。(賠償金はその後1900万ドルに減額)

イメルダ夫人は1992年に「夫の財産の一部は山下財宝によるものだ」と発言し、不正蓄財を言い逃れるための作り話と受け止められてきましたが、ゴールデン・ブッダの話が真実なら事情は変わってきます。(この項続く)

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 黄金の仏像とロハス氏(Roxas Collection Mobile Museumのフェースブックから)

(08:00)

2022年12月07日

前回のブログで「山下財宝の伝説が亡霊のように現れる」と記しましたが、ニュースの検索サイトで「山下財宝」と打ち込んで調べてみました。

最近では、2018年6月にルソン島沖のカポネス島で、山下財宝を見つけるために違法な穴掘りをしたとして、日本人4人とフィリピン人13人の計17人が現地の警察に逮捕されています。

日本人は40~60代の3人の男性と、通訳を務めていた15歳のフィリピン人とのハーフの少年で、フィリピン人は1日1000ペソ(約2400円)で雇われていました。

少し遡りますが、1991年に日本人が率いるチームがミンダナオ島の洞くつでブルドーザーによる発掘を行い、埋まっていた紀元前300年ごろの多数の土器を破壊してしまうという騒ぎを起こしています。

ほかにも、山下財宝を探して穴に入っていたフィリピン人がガス中毒で倒れ、助けようとした救急隊員とともに犠牲になったという事件や、日本人墓地が財宝目当てのフィリピン人に荒らされたという事件などがヒットしました。

今回ネットで調べて初めて知ったのですが、フィリピンの洞窟で財宝探しを行うには、2007年から環境天然資源省の許可が必要となりました。

発掘しようとする個人や団体は1万ペソ(約2万4000円)の申請料の支払いや、公務員保険機構などに保証金を供託することが求められます。

また発掘された財宝は、国立美術博物館が歴史的価値を認めた場合には没収され、そうでない場合は、公有地で発掘された財宝は政府が75%、発掘者が25%、私有地で発掘された財宝は政府が30%、発掘者と土地所有者が70%を受け取ると定めています。

こうした規則がわざわざ設けられたのは、山下財宝を見つけようとするフィリピン人や日本人が絶えないからでしょう。(この項続く)


地図
 フィリピンでは山下財宝の地図が出回っているらしい


(08:00)

2022年12月05日

前回のブログで、フィリピンの矯正局長が山下財宝を発掘するために、かつて山下奉文大将が収容されていたマニラの刑務所の敷地内に巨大な穴を掘ったというニュースを紹介しました。

矯正局長がどんな情報をもとに発掘を試みたかは不明ですが、戦後77年を経た今も、フィリピンで山下財宝の伝説がまるで亡霊のように現れ、話題となることに驚きを感じています。

そんなわけで、今回から番外編として山下財宝を調べてみたいと思います。

書籍やインターネットを使用したデスクリサーチのみとなりますが、コロナの感染がもう少し落ち着いたら、ぜひフィリピンの現地にも足を運んでみたいと考えています。(東南アジアの国々には何度も訪れているのですが、フィリピンは一度もありません。観光地としてあまり魅力を感じなかったことが理由ですが、埋蔵金探しなら話は別です)

ウィキペディアで山下財宝を調べると、「山下奉文大将率いる日本軍によって、終戦時にフィリピンに埋められたとされる莫大な埋蔵金についての都市伝説」とあります。

さらにフィリピンで一般的に語れ継がれている伝説として、「東南アジア(主にビルマ)の欧米諸国の植民地政府が貯蔵したまま放置した金塊を、これらの地を占領した日本軍が徴発、シンガポールからフィリピンで中継し日本本土に海上輸送しようとしたが、連合国軍の潜水艦や航空機による日本と東南アジア間の海上輸送路への攻撃が激しくなったために、フィリピン内に隠しておいて日本の敗戦の直後に引き上げようとしたところ、関係者が戦犯として連合国軍により処刑されたため在処の情報が失われた」という内容を紹介しています。

ちなみに「都市伝説」を大辞林で調べると、「現代の都市で広く口承される、根拠が曖昧・不明な噂話」と記されています。(この項続く)


山下奉文
 山下奉文陸軍大将



(08:00)