2023年01月19日

今回はさかのぼって、フォレスト・フェン氏(1930~2020年)とはいったいどんな人物なのか、どうして自分の財産をもとにした宝探しを仕掛けることになったかを見てみます。

ウィキペディアなどによると、フェン氏は米空軍の元パイロットで、ベトナム戦争では年間に328回も出撃し、シルバースター勲章を受章しました。

退役後はニューメキシコ州サンタフェで古美術店を経営し、アメリカ先住民の絵画や工芸品などを取り扱い、600万ドルもの年商があったそうです。

1988年に58歳で腎臓がんを患い、3年後の生存確率は20%と医師から宣告されると、自分の財産を野外に隠し、人々に宝探しをさせるアイディアを思いつきます。

フェン氏はがんから生還を果たしますが、2020年に80歳を迎えるのを機に以前からのアイディアを実行に移し、ロッキー山脈のある場所に宝箱(中身は米国のイーグル金貨、ダブルイーグル金貨を中心とする265枚の金貨、鶏の卵ほどの大きさの金塊、古代中国で作られた翡翠像、コロンブス以前の金製の動物の工芸品、たくさんのルビー、エメラルド、サファイア、ダイヤモンドなど)を隠します。


そして、同年1月に出版した回顧録「追跡のスリル(The Thrill of the Chase)」に掲載した24行の詩に、隠し場所につながる9つのヒントを潜ませたことを明かします。

フェン氏が仕掛けた宝探しは、世界中のトレジャーハンターたちに熱狂を持って迎えられました。


フェン氏は後になって「人々を荒野に誘い、昔ながらの冒険と探検を始めるチャンスを提供する手段として、宝箱を隠した」と語っています。

「追跡のスリル」は2018年までに10刷を重ね、4万500部以上の売り上げを記録しましたが、フェン氏は本のセールスが目的だと誤解されないよう、収益をすべてがん治療の慈善団体に寄付したそうです。(この項続く)


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 写真は記事と関係ありません



(08:00)

2023年01月18日

まずは最新のニュースからご紹介します。

アウトサイド誌などによると、フォレスト・フェンの宝箱に入っていた財宝を販売する1カ月にわたるネットオークションが昨年12月12日に終了し、1307946ドル(約1億6700万円)の売り上げを記録しました。

オークションにかけられたのは、ジャック・ステューフ氏が個人会社に売却した財宝のうち、青銅の10インチ四方の宝箱や竜の腕輪などを除いた476点で、入札には合計1643人が参加したそうです。

ステューフ氏がいくらで売却したかは公表されていません。

1万ドル以上で落札された財宝が8品あり、最も高かったのは549グラムの金塊で5万5200ドル(約700万円)、次に高かったのはフェン氏の2万語の自伝を収めた小さなガラス瓶で4万8000ドル(約610万円)でした。

フェンの宝箱はこれまで200万ドル相当と報じられてきたので、若干低めの評価となったようです。

ステューフ氏は先月、自身のブログで、フェン氏の宝箱の財宝をすべて手放したと表明していました。

「2年前に私の身元が明らかになった後、フェンの宝箱のファンたちから、自身の宝探しの冒険の記念に財宝の一つを売ってもらえないかという要望が寄せられていた。そうした機会を提供することができてうれしい」とも記しています。

宝探しに参加した記念に一つでもいいから財宝がほしいという気持ちは、わかる気がします。

ちなみにオークション会社のホームページによると、最も値段が安かったのは3グラムの砂金で900ドル(11万5000円)でした。(この項続く)


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 写真は記事と関係ありません。



(08:00)

2023年01月17日

埋蔵金伝説の調査はお休みし、今回からしばらくの間、「フォレスト・フェン(Forrest Fenn)の宝箱」についてリポートします。

フォレスト・フェンの宝箱といっても、すぐに思い当たる方は少ないのではないでしょうか。

米国ニューメキシコ州サンタフェの美術商、フォレスト・フェン氏が2010年1月、ロッキー山脈のどこかに隠したと発表した、金塊や宝石、レアコインなどが入った数百万ドル相当の宝箱です。

2020年6月にミシガン州出身の32歳の医学生、ジャック・ステューフ氏によってワイオミング州で発見されるまで、35万人(フェン氏による)もの人たちが宝探しに挑みました。

この話を最初に知った時には、いかにも米国らしい夢のある企画だなあと思ったのですが、探索中に少なくとも5人が命を落としたり、違法な発掘行為で何人もが検挙されたりするなど、どうも綺麗ごとばかりではなかったようです。

また、宝物が実際にどこに隠されていたのか、ステューフ氏がどうやってそこにたどり着いたかも明かされておらず、さまざまな憶測を呼ぶとともに、フェン氏を詐欺師だと訴える裁判沙汰も引き起こしています。

(フェン氏は回顧録「追跡のスリル(The Thrill of  the Chase)」に記した24行の詩に、宝箱の隠し場所に導く九つの手掛かりを潜ませたとしていますが、発見された後も、その答は公表されていません)

宝箱はもう存在せず、フェン氏も2020年9月に90歳で亡くなりましたが、謎解きは完全には終わっていないようです。

どこまで正確にお伝えできるか分かりませんが、ネット上の英文コンテンツを拾って、この前代未聞の宝探しの全貌に迫ってみたいと思います。(この項続く)


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 写真は記事と関係ありません

(08:00)

2023年01月14日

法輪寺は名鉄瀬戸線の大森・金城学院前駅で降りて、線路沿いに瀬戸方向に向かって歩いて、5分ほどの場所にあります。

近くには、昭和23(1948)年に起き、36人が亡くなった名鉄瀬戸線脱線転覆の犠牲者の慰霊碑と交通安全地蔵が建っています。

寺の山門前には「佐藤次信公 佐藤忠信公 舊跡(きゅうせき)」と記した石柱が建っています。

山門をくぐってすく左に佐藤兄弟と乙和御膳の供養塔(宝篋印塔)があります。

連休中の突然の訪問だったのですが、江口宏見住職にお話を伺うことができました。

謎の一文についてお聞きすると、以前、本尊の釈迦牟尼像を動かす機会があり、江口住職自身が確認したとのこと。

文献によって、仏像に記されていたとか、仏像の中に入っていた紙に書かれていたとか、記述が異なるのですが、正確には「仏像を支える台座の心棒に記されていた」そうです。

そして、金千枚を置いたとされる「牛刀二日」の意味についてですが、江口住職に思い当たる場所はなく、専門家に聞いてもわからなかったということです。

法輪寺がもともとあったのは南へ1キロほど離れた守山警察署の近くで、寛文2(1662)年に今の場所に移りました。

乙和御膳の金千枚が現在も埋まっているかどうかはわかりませんが、いずれにしろ「牛刀二日」の解読がカギとなりそうです。(この項終わり)


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 法輪寺の本尊の釈迦牟尼像=名古屋市守山区の法輪寺で

追記 江口住職のご厚意で本尊の釈迦牟尼像を撮影させていただきました。ご協力に感謝申し上げます。法輪寺由緒によると、運慶作ということですが、その真偽はさておき、見ていて引き込まれるような素晴らしい仏像です。

(09:00)

2023年01月13日

法輪寺の黄金伝説には若干のバリエーションがあります。

たとえば、左藤継信・忠信の母、乙和御膳は息子たちに会うために京都に向かい、途中、疲労で病気になって法輪寺で休養することになった。

二人の死を知らせるために奥州に向かっていた従卒が近くを通り、老母のうわさを聞きつけて法輪寺を訪ねる。

従卒から二人の討ち死にの様子を聞いた乙和御膳は嘆き悲しみ、村人も同情して、以来この村では新年の門松飾りを止めてしまった、という内容です。

ただ、話としては前回紹介した内容の方が現実性がありそうです。

佐藤兄弟と乙和御膳をめぐる逸話は、戦で子供を失った母親の悲しみを訴える普遍的なストーリーとして、各地に残っています。

法輪寺とほとんど同じ話が、新潟県出雲崎町の正応寺にも伝わっています。

長野市の善光寺にも佐藤兄弟の供養塔があり、乙和御前が二人の冥福を祈って建てたとされます。

このほか、義経が佐藤基治(兄弟の父親)の居城である大鳥城(福島市)に立ち寄り、基治と乙和御前に二人の活躍を報告したという話や、兄弟の妻たちが二人の甲冑を身に着け、悲しみにくれる乙和御前を慰めたという話も知られています。

法輪寺の伝承が、数多ある伝承の一つとして影が薄くなっているのは否めません。

しかしながら、乙和御膳が金千枚を埋めたという黄金伝説は、同寺にしかありません。

そして、やはり注目は本尊に記されていたとされる謎の一文でしょう。(この項続く)


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 佐藤継信・忠信兄弟と乙和御膳の供養塔=名古屋市守山区の法輪寺で

(08:00)